2020/12/29
.12月25日午前11時半頃、地域猫から保護したしましまが生涯を終えました。1枚目の写真は23日昼頃、日向ぼっこ最後でした.超絶長くなりそうですがしましまとの歴史や今の気持ちを記録として書かせてください。.見返したら去年9月、カワウソが緊急保護される2〜3日前に突然ミーちゃんの餌やり場に現れました。.メスの若い子なんだと思っていましたが、発情期ないし不思議?と、お耳カット(=どなたかが避妊手術した証)にもずっと気付かず保護してから耳カットと推定ですが若いんじゃなくわりと年寄りだとわかりました。.不思議なことに出会った日は「知らない子だね、ごはん食べる?」と声をかけたらおずおず近寄ってきていきなり足元でしっかりミーちゃんとごはんを食べ(普通は警戒してまずない)翌日には同じ場所で待っていて走ってきておなかごろんごろんして撫でさせてゴロゴロいっていました。..冬にはしましまが喧嘩で追われ、うまくごはんも食べられなかったので離れた里親さん宅に苦労して数日かけて移動させ、しまやしま子、パンツにも馴染んで固定メンバーとして安心に暮らしていました。人馴れしてる子なんだろうと思っていましたがごはんくれない普通の人には極端に怖がっている姿を春頃見かけてちょっと意外に思いました。..激痩せしてるとは気付いてましたが突然食べなくなり限界と見て保護したのは6月11日夜、12日に病院に入り即入院→腎臓が悪く甲状腺機能亢進症ともわかり、なぜか入院でも脱水も改善せず肝臓も悪いかも?と、先生も何が悪いか何をしたら良くなるかわからなかったため、14日にはせめて家で、と退院してきました。.退院時にはショック状態だったのか傾眠のような状態もあり、自力ではなかなか食べずシリンジで強制給餌したら嫌われ正直2週間持つかな?とそれを見てわたしは感じたくらいです。先生は2ヶ月くらいかな、と思っていたと後に聞きました。..が、突然シャキッと元気になり、もりもりごはん食べるようになり、猫フードより人間の食べ物が好きで甲状腺機能亢進症のせいもあり、一日中何十回もごはんをねだりました。.卵からハムから焼き魚から刺身からチーズからカニカマからツナ缶から鶏肉豚肉唐揚げ、晩御飯の食卓には叱っても毎日あがり「何食べてるの?」と必ずチェックに来ていました.カワウソだけは、しましまに攻撃していましたがそれでもみんなとうまくやって比較的のびのびとリビングで過ごし、起きればご飯ねだって鳴くけど体伸ばしてよく寝ていました。わたしが床暖の上に寝転べば必ず脇に来て、ヨダレだらけのかなりの匂いの顔を熱心にゴロゴロとなすりつけてくれました️.かわいくてね、なぜ、その年齢で突然いたのか、謎でしかなく…どうしてもっと早く出会わなかったかと思う事もありますが(いまでも)飼い猫だったかもしれない感じで家に馴染んでいましたね。.最期は、補液をやめて24時間も経たずで正直あと1日あるかな、と読んでいましたが限界が予想より早く…もしかしたら何かの発作で少し苦しみました。亡くなる前も意識もかなりはっきりあり、3時間前、声かけて撫でたらすごいうれしいとゴロゴロいっていたくらいです。..旅立って、体も還して見送って。.毎回ですが、おかしくなるくらい寂しくて…理解してるけれど外に探しに行って二駅以上歩いてどこにもいないって絶望します。.わたしにとってはわたしが何かできたなんてあまり思えなくて苦笑、ただ好きだっていってくれて大事な大事なコが消えていなくなる置いていかれる寂しさに正直絶望します。.でも、置いていけないからね︎置いていくわけないしね。旅立つ時にはありがとう、と、ずっと一緒にいるよ、ごめんね苦しいのに助けてあげられなくて。置いていくわけないから安心してね、とそれくらいしか言えないのですよ。息を引き取るまではおかあちゃんどっしりして泣いても笑って安心させてあげたいから、医療面の知識が増えて判断だけは先に読めるようになって落ち着いてその時を迎えているようでもいざ時が止まった身体を見たらもう圧倒的な悲しみしかない。.でも、自分が逆の立場で先に逝くとしたらどうか楽しくしてね、笑っていてねとそれを願っていくと思うので彼らの願いも知ってしまっています︎好き〜好き〜って言ってくれる彼らの願いというか。.だからしっかり絶望して悲しんだらまた笑える日が来るのももう何度も繰り返して知っているし、ゆっくりそうならないといけないので︎..しましまが好きだと応援してくださった皆さま、ほんとうにほんとうにありがとうございました。あーもっとずっとずっと一緒にいたかったなあ︎宝物だから、わたしが一緒にいれてずっとうれしかったです。..写真、2枚目3枚目は出会った頃。最後の写真は家人撮影、11月30日でした︎かわいいでしょう?️.2020.12.25-29 しましまありがとう